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アフガニスタン、苦難の先にある希望――スポーツと国旗に込められた誇り

国際 ✍️ 佐藤 健一 🕒 2026-03-21 01:17 🔥 閲覧数: 1

カブールから届く知らせを聞くたび、この国の空気が少しずつ、しかし確実に変わっていくのを感じる。混乱の記憶がまだ新しい中でも、街のあちこちで若者たちが集まり、スポーツに夢中になっている。特に目立つのがクリケットとサッカーだ。この国にとって、それらは単なる娯楽ではない。フィールドに立つ選手たちの姿は、分裂と苦難の歴史を生き抜いてきた人々にとって、今この瞬間も“自分たちはひとつだ”と示す、最後の砦のようなものだ。

封面图

フィールドの上では、みんな同じだ

「あの日、スタジアムにいた全員が、言葉はいらなかった」。カブールで長年クリケットに関わってきた知人が、そう振り返る。彼が言う“あの日”とは、アフガニスタン代表が国際試合で歴史的な逆転勝利を収めた瞬間のことだ。特にクリケットアフガニスタン代表の快進撃は、国内の誰もが誇りに思う。難民キャンプで育った少年たちが、今では世界のトップリーグで戦っている。その事実自体が、若者たちに「自分にも道は開ける」という無言のメッセージを送り続けている。今年行われたアジアカップ予選でも、彼らの粘り強いプレーは多くの者を熱狂させた。

サッカーアフガニスタン代表の歩みも、胸を打つものがある。クリケットほどの注目を集めるわけではないが、スタジアムに足を運ぶ熱心なサポーターは年々増えている。試合前、選手たちが胸のエンブレムに手を当て、国歌を歌う姿。そこには、パシュトゥーン人もタジク人もハザラ人もない。ただ“アフガニスタン人”として、22人の選手と何万人もの観客がひとつになる。内戦で幾度も引き裂かれたこの地で、その光景は祈りにも似た力を帯びている。

旗と言葉、揺るがない核

選手たちの胸に輝くアフガニスタンの国旗。黒、赤、緑の三色に中央の国章。この旗が掲げられるたびに、私はその重みを考えずにはいられない。権力の象徴ではなく、何度も国が変わり、それでも人々が守り抜いてきた“矜恃”そのものだ。カブールの路上で、この旗を模したスカーフを巻く若者を見かける。彼らはそれを、単なるファッションではなく、自らのルーツを選び取る行為として身につけている。

そのアイデンティティを支えるもう一つの柱が、言葉だ。公用語の一つであるペルシア語 (アフガニスタン)、現地ではダリー語と呼ばれるこの言語は、コミュニケーションの道具を超えている。ルーミーの詩が日常的に交わされるこの地では、ペルシア語の持つ柔らかなリズムと深い比喩が、人々の感性そのものを形作ってきた。暫定政権下での言語政策がどうなるかは依然として流動的だが、この言葉が育んできた千年以上の文化は、いかなる体制も決して消し去ることはできない。

  • クリケット:国内リーグには海外で活躍する選手も帰国し、若手育成に力を注いでいる。
  • サッカー:女子サッカー再建に向けた地道な動きも、国内外で静かに進む。
  • 国旗:公式な場での掲揚基準は厳しいが、市民レベルでは自己表現としての使用が広がる。
  • 言語:ペルシア語圏の文学や音楽は、国境を越えて若者たちの間で新たな共有財産となっている。

“今”を生きる者たちの明日

国際社会からの支援が縮小の一途をたどる中、アフガニスタンが直面する人道危機は依然として深刻だ。それでも、人々はスポーツや文化といった、政治とは別の次元にある“誇り”にすがるようにして、日々を生きている。クリケットに熱狂する群衆、サッカーのゴールに沸くスタジアム、路傍でペルシア語の詩を朗誦する若者たち。それらは決して“現実逃避”などではない。彼らにとってそれは、これからも生き抜いていくための、最もリアルな力そのものだ。

カブールの空は、どこまでも広い。その空の下で、人々は今日も、国旗の色を胸に、母国語で声をあげ、ボールを追いかける。混乱の連続は、これからも続くだろう。それでも彼らは、次の世代に手渡すべき“何か”を、確かにここに刻み続けている。