高額PC時代にこそ見直したい、格安ノートPCの底力
先週アップルが発表した洗練された新型MacBook Neoに、テクノロジー業界は熱狂した。美しいディスプレイ、驚異的な処理速度、そして20万円超えという価格。間違いなく技術の傑作だ。しかし、絶賛のレビューを読み進めるうちに、どうしても見過ごされている本質が気になってしかたなかった。Neoを誇らしげに使うクリエイターがいる一方で、ガムテープと根性で補修した格安ノートPCと向き合うクリエイターが何百人もいるのだ。大富豪が支援するテクノロジー大手の時代においても、本当の物語は最新の高額ガジェットではなく、限られた予算の中でいかにして私たちが創造し、遊び、学んでいるかという点にある。
芸術家は滅びない?低予算でも創造は可能だ
「大富豪とハイテク大手の時代に、クリエイターは生き残りに苦闘している」という嘆きはよく聞く。本当にその通りだ。ストリーミングの印税は家賃にも満たず、広告収入はお粗末で、必要なツールは高くなる一方。しかし、個人経営のスタジオや寝室で制作をするクリエイターの聖域に足を踏み入れれば、そこには別の現実が見えてくる。そこにあるのは、僕の格安ノートPC――信頼のおける、傷だらけのマシンが、ボーカルを録音し、動画を編集し、許容量以上のプラグインを詰め込んだDAWを動かしている。大事なのは機材ではなく、根気だ。3万円のChromebookやリファービッシュ品のDellこそ、創造性にプラチナカードは不要であることの証明なのだ。
限界への挑戦:格安ノートPCでゲーム
ゲーマーも同じだ。一般的には、RGBで彩られたカスタムPCのイメージが強いが、実際には、ゲーマーの大部分は予算重視のハードウェアで楽しんでいる。「格安ノートPCでできるゲーム」を検索すれば、内蔵グラフィックスで必死にフレームレートを稼ぐ人々であふれたフォーラムが見つかる。話題になるのは、インディーズの名作やクラシック、ポテトサラダでも動くようなeスポーツタイトルだ。そこには、生の性能よりも最適化を称える独自の文化がある。そして、そのノートPCがついに新作ゲームに悲鳴を上げたとき、格安ノートPC & PCパーツの探求が始まる。Kijiji(キジイ)やFacebookマーケットプレイス、街のパソコンショップで中古のグラフィックボードやメモリを探すことが、一人前になるための通過儀礼となるのだ。
OLPCが遺したもの
このたくましい精神は、今に始まったものではない。20年前の壮大な実験を思い起こさせる。カリスマ・マシーン:『子供に一人一台パソコンを』計画の生と死、そして遺産。OLPCプロジェクトは、耐久性のある低コストのノートPCを開発途上国のすべての子供たちの手に届けようとした。官僚主義、政治、そしてタブレットの台頭により頓挫した。しかし、その精神は、今日の手頃な価格のノートPCの中に生き続けている。コンピューターは贅沢品であるべきではない、情報へのアクセスは基本的人権である、安価なノートPCが人生を変えうる――これがその遺産だ。バンクーバーからハリファックスまでの学校がデジタルデバイドの解消に奔走する今、この考えはかつてなく重要な意味を持つ。
格安ノートPCが本当に与えてくれるもの
だから、あのMacBook Neoや最新のWindowsフラッグシップモデルを見るとき、手頃な価格のマシンが実際に与えてくれるものを思い出してほしい:
- 挑戦する自由:失敗を恐れず、気まぐれでプログラミングを学び、プロジェクトを台無しにしてもいい。リスクが低いからこそだ。
- 身軽でいられる携帯性:カバンに放り込み、カフェに持っていき、車の中に置き忘れても――パニックにならない。
- 実体経済への入り口:多くの学生や新渡日の人々にとって、初めての格安ノートPCこそ、初めての就職、小さなビジネスの創業、新しいコミュニティとの接点をもたらす道具だ。
- 消費ではなくコミュニティ:予算重視のテクノロジーに特化したフォーラムやサブレディットは、インターネット上で最も親切で創造的な場所のひとつだ。
もちろん、高価なコンピューターが悪いと言っているわけではない。私だってNeoは欲しい。しかし、現実を見誤ってはいけない。この国の創造的・経済的な屋台骨は、いまだに東京の家賃一か月分にも満たないマシンで動いているのだ。次の時代を担う日本発の小説も、インディーズゲームのセンセーションも、地域発のスタートアップも、今この瞬間も格安ノートPCで生み出されている。そして、それこそが称えられるべき物語なのである。